旧矢作家の建築年代は定かではないが、構造・建築手法などからみて18世紀中頃の建徳と考えられる。また、建物の規模・内部の間取りからみて上層農家と考えられる。19世紀初頭に中門部分の建替え、明治中頃と大正初期に一部改造・増築が加えられているが、現在はもとのふるい形に復元されている。旧矢作家は、最上地方に多い馬屋中門(片中門)造りの典型で、移築前は萩野地区に所在していた。 母屋の間取りは上手に上下の部屋、下手に居間があり、土間の北側に水場がある。中門の部分片側に馬屋が二箇所、入り口にとのぐち一間がついている。また、中門西には便所がある。雨戸の上に明かり取りの高窓を設け、家屋裏手には雪を溶かす池を配置するなど、多雪地帯の地方の特色を備えている。矢作家住宅は、江戸中期の最上地方の農家住宅の構造を伺うことが出来る貴重な建物である。